今日は仕事前に薬類を片づけた。
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昨日の記事をUPした後、とても嫌な気持ちが残った。
過去にあった嫌なことを思い出して書くのは良くないようだ。少なくとも今の私にとっては。
もちろん、例えば仕事や日常であった嫌なことなんかだと、ブログや日記に書いてスッキリすることはある。
そういうのじゃなくて、もっと心の奥深い所にあるドロドロしたもの。それを呼び起こすとダメだ。
それはきっと、その感情がまだ浄化されていないからだと思う。
私の中に、彼女を許せないような何かがあるのだと思う。
私は負の感情を持ったまま日常を過ごすのが苦手だ。
なんというか、自分は清廉潔白でありたいというような気持ちがあって、だからそうじゃない自分は嫌、みたいな···
うまく言えないけど、そういう自分が存在することは確かだ。
私は昔から「いい子」でありたい思いが強い。
「いい子」はきっと友達に去られたりしないし、たとえ友達に裏切られたとしてもそれを許すだろう。
だからきっと私は今、友達に去られたり、それを許せないでいる自分が嫌なんだと思う。
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昨日、職場の時間泥棒の話を書いていて思い出した。
かつての友達にもそういう人がいた。
↓この記事の友達ね
この友達はしょっちゅう電話をかけてきては長話をした。こちらの都合はおかまいなしで、何時間でも喋っていた。
私もうまく話を切り上げて電話を切ればいいものを、他の友達ならそれができるのに、何故か彼女の電話ではできなかった。
彼女の話の大半は愚痴だった。職場の愚痴、親の愚痴、親戚の愚痴、ダンナの愚痴、こどもの愚痴。
もちろん電話だけでなく、実際に会って話を聞くこともあった。
私はいつも忍耐強く聞いていた。
私はいったいどれだけの時間を彼女に捧げたことになるのだろう。彼女はどれだけの時間を私から奪ったのだろう。
あの頃は、彼女が私の時間を奪っているなんて思いもしなかったのだけれど。
それどころか、彼女にとって私が大切な友達であるように、私にとっても彼女は大切な友達だと思っていた。
でも、違った。
その証拠に、やがて彼女は理由も告げずに私から去って行き、私は彼女を追わなかった。追いたいとは思わなかったのだ。
ああ、忘れていたのに嫌なこと思い出しちゃった。
今はまだこの友達とのことを冷静に書けないと思うので、ここらで止めておこう。
ただひとつ、これから気をつけたいのは、私が他の人の時間泥棒にならないように、ということ。
そして私は自分の時間を盗まれないよう、もっと自分を大切にしなくては。
もうそれほどたくさんの時間は残されてないのだから・・・
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職場に、自分の話ばかりする人がいる。
今日も私がちょっと暇そうにしていると、そばに来てペラペラ自分の話をし出した。
彼女は今年から仕事上ある役を担うことになり、ほとんどがその話。
会議で自分の提案が採用されただの、今年は色々改革していく予定だから大変だの、興奮気味に次から次へと喋りまくる。
「休憩はもうおしまい」とばかりに、私が手にしていたコーヒーカップを片づけようとしても、おかまいなしに喋りかけてくる。
私があまり興味がなさそうな相づちを打っても気づかないみたい。それとも気づかないフリをしてるのか?
とにかく休憩の間中ずっと喋りまくって、去っていった。
どっと疲れてしまった。
本当ならその休憩時間に私は、ちょっと調べものをしたかったのに。
トイレにも行こうと思ってたのに。
化粧直しもしたかったのに。
どれもできなかった。
彼女は私の時間を奪った。けれど、きっと彼女は私の時間を奪ったなんて夢にも思ってないんだろうな。
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書類の片づけをしていて、すでに片づけを終わらせたはずの衣類や本類のことが気になって仕方ないことがある。
「やっぱりあれは捨てるべきだ!」「よく考えると、あれも捨てたいかも···」などと、残すと決めたはずのものが捨てたくなるのだ。
それらは大抵、残すと決める時に一瞬の躊躇があったものだ。だから多分、ずっと心のどこかにひっかかっていて、何かの拍子に出てくる。あれは本当に残しておいて良かったの···?と。
だから実は、書類を片づけてる最中にタンスから靴下を出してきて捨てたり、本棚から本を出したり入れたりしている。
私の片づけが時間がかかっているのは、そういうことをしているせいもあると思う。
でも、その時に決心できなくても、後から決心できたなら、それはそれでいいのではないかな。
そりゃ、その時にスパッと決められたらそれがいいに決まってるけど、こんまりさんが言う「ときめき感度」が上がれば判断も変わって当然だと思うから。
ちなみに今日は仕事前に、健康診断関係の書類をたくさん処分した。
ゴールデンウィークの休みまでは、こうやって少しずつ分けて片づけて行くしかないかな。
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少し前にしばらく実践していた『モーニングページ』(朝起きてすぐに頭の中に浮かんだことをノートに書き出す。心を整えるのに有効だとか。興味がある人はググってね)
私は朝が大の苦手なのと、ヘバーデン結節が痛くて文字を書くのが大変になったのとで、途中で止めてしまったが、その時のノートは捨てずに置いてあった。
モーニングページは書いた後すぐに読み返してはいけなくて、確か最低2週間以上は読み返してはいけなかったと思う。
なので、書いたまま放っておいたのが「書類の片づけ」で引き出しの中から出てきた。
そのまま中を見ないで処分すれば良かったのだろうけど、つい読んでしまった。(すごい乱筆だったけど、自分の文字って、けっこう読めるもんだ)
内容は、書いた覚えのあるものも全く覚えがないものもあって、何だか面白かった。
ただ気になったのは、朝イチに頭に浮かんだことを書いたにしては、イライラしてるという内容が多かった。
あの頃の私って、朝からそんなイライラしてたんだ。
読み進むと、イライラの原因は仕事が多く、次に自分の健康状態のことで、私はそれらの原因そのものよりも、それによってイライラする自分が嫌だと書いていた。
じゃあ原因を取り除いたら、つまり「仕事を辞める」か「全く健康な身体になる」と、イライラはなくなるのか?と言えば、たぶん答えはNoで、きっと他の原因でイライラするのだろう。ということは、イライラの原因を取り除くことより、イライラしなくなる自分になることだ。
というようなことがツラツラと書いてあった。
なるほど、と思った。
ああ、だから私はまた片づけを始めたんだ。
自分の心が、色んな物事を受け止められる安定した状態でいたい。もしくは流動的でありたい。
何かですぐいっぱいいっぱいになるのではなく、余裕が欲しい。
私が求めていたのは、部屋の整った状態ではなく、心だ。
だからインテリアやディスプレイなんかどうでも良かったんだ。
常に「あそこを片づけなくちゃ、あそこを掃除しなくちゃ」と思いながら、そこで生活していると些細なことでイライラする。
心もそれと同じ。
心の中と部屋の中は同じ、とよく言われるが、本当にそうだ。
たぶん私は、どうにもならならない自分の感情を、どうにかなりそうな部屋から何とかしようと考えたのだ。
目に見えない自分の頭の中より、目に見える部屋から。
ていうか、目に見えるものが片づけられたなら、目に見えない心の中も片づけられるのではないだろうか。逆に目に見える部屋が片づけられないようなら、目に見えない心の中は片づけられないのではないだろうか。
そんなふうに考えたのだと。
うん、ならば、このまま部屋の片づけを進めてみようじゃないか。
これから先の残り少ない人生をできるだけイライラせずに機嫌よく生きて行けるように、今、頑張ってみよう。
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昨日の記事に「休みボケでヘマしないように」とか書いてたのに、やっちまったよ (;´Д`)
今朝仕事に行くのに、あろうことか電車を乗り間違えた。普通に乗らないといけないのに、準急に乗ってしまったのだ。
慌てていたわけでも、スマホばかり見てたわけでも、電車の運行時間が違っていたわけでもない。
私は何の疑いもなく、ホームに来たその電車に乗った。流れていたはずのアナウンスは、何故か全く耳に入らなかった。(私は難聴で補聴器を装用しているが、日常会話にほとんど不便はないし、駅や電車のアナウンスはちゃんと聞き取れる)
空いた座席に座った私は、ボーッと窓の外の景色を眺めていた。次の駅で止まらなかったことにも気づかなかった。
別に何か考え事をしていたわけでもない。
そのうち、何となく電車のスピードが速いような気がして、変だなと思った。いつも乗ってる電車はこんなに速くない。
と思ってるうちに、見慣れた景色が見えてきた。
もちろん電車のスピードは落ちない。
「これ、もしかして準急!?」と思ったが、時既に遅し。
電車はあれよあれよという間に私が降りるはずの駅を通り過ぎてしまった。
慌ててスマホを取り出して、この電車が次に止まる駅と時間、そこから折り返し乗れる電車の時間を調べる。(こういう時、便利な世の中になったなぁ、とつくづく思う)
何とか遅刻せずに済みそうな電車があったので、ホッと胸を撫で下ろす。
で、その駅で降りて反対側のホームに向かってると、「まもなく電車が到着します」のアナウンスが。
「あれ?さっき調べた時間より早くない?」と思いつつ、階段をかけ上る。
おりしも電車が到着して扉が開いたところだった。
良かった、これに乗れなかったら遅刻だわ~と思いながら、電車に足を踏み入れたとたん、アナウンスが
「◯◯行き準急の扉が締まります」
ギョエエーーーッ!!
のけ反ってひっくり返りそうになりながら、扉の外に飛び出した。
扉が締まって電車が駅を出て行ってからも、心臓バクバク、、、また狭心症になってないやろな?
危うくまた準急に乗るところだった。
その後すぐ普通が到着したので、それに乗って無事遅刻せずに職場にたどり着いたものの、大汗をかいてしまった。
長年通っているが、こんな失敗は初めてだ。
てか、長年通ってるのにこんな失敗するって···
大丈夫か? 私 (゚A゚;)
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どうしようか迷ったんだけど、どうしても今日中に小物類の片づけに進みたかったので、昨日片づけられなかった書類は「未処理の書類」として、とりあえず『未処理ボックス』にまとめた。
こんまりメソッドでは小物類の最初はCDやDVDなんだけど、私にとってCDはどちらかというと思い出品になるから後に回すことにして、次はスキンケア、メイク用品、アクセサリー類。
けど、それらはもともと最低限必要なものしか持っていない。貴重品類もしかり。
ということは、それらは短時間で片づけられるので今日でなくてもいい。
なので時間が取れる今日は機械類の片づけをすることにした。
ところが、これが思ったより厄介で···
古い携帯電話やMDウォークマン、ヘッドホンやイヤホン、フロッピーディスク、古い補聴器(機械類になるのかな?)などなど。
それらに混じって、夫が趣味でバンドをやってるので、アンプやスピーカーやシールドやら、訳のわからないものもがいっぱい出てきた。
仕方ないので、ここでもやっぱりまずは夫のものと私のものに分ける作業から始める。
それから私のものだけを片づけていったのだが、途中で携帯電話のSIMカードをどう処分していいのかわからず調べてみたり、フロッピーディスクの廃棄のしかたがわからず調べてみたりしてるうちに、あっという間に時間が経ってしまった。
結局またちゃんと片づけられないまま強制終了。トホホ···
休みは今日で終わりだというのに半分も片づけられなかった。
しかも、何だかどれも中途半端な気がする。
次のまとまった休みはゴールデンウィークまでない。それまでこのまま放っておくとモチベーションが下がってしまいそうなので、何とかうまく時間を作って片づけて行こうと思う。
さあ、明日は1週間ぶりの仕事だ。休みボケでヘマしないようにしなくては!
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今朝はWBCを観戦して大感動! 。・(つд`。)・。
日本優勝の余韻に浸ってテレビばかり見ていたが、いやいや私も頑張らなくては!と、昼もすっかり過ぎた頃、やおら片づけにとりかかる。
敵は強豪、書類。
ところが、もうこれで全部だと思っていたのに、また出てきたよ~
年金関係の書類と健康診断関係、新たに入ろうかどうか迷って取り寄せた保険のパンフレットの束が。
もう嫌、、、
書類って、何でこうあちこちの隙間に挟まってるんだろう。
そんな訳で、結局今日も書類の片づけで終わってしまった。てか、まだ終わってないし。
明日こそ、書類を終わらせて小物類に行けますように···
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ダメだ~、片づかない、、、
いや、頑張ってかなり減らしたのよ。45Lのゴミ袋2袋捨てたし。
ただ、やっぱり仕事の資料や記録などが捨てられない。
「必要になるかもしれない」呪縛から逃れられないのだ。
私はこの歳なので、もちろん職場では古株だ。だから、こんな私でもある程度責任ある立場に置かれており、昔の資料を提供することも多々ある。
それに私が辞める時、後輩にあげたい資料もある。
それを考えると、私個人としてはもう必要ないかなと思えるものであっても、やっぱり捨てられないのだ。
なので、内容が重複しているものや、どう考えてももう必要ないと思われるもののみ捨てることにしたのだが、そうすると資料の中をいちいち確認しないといけない。
ところが資料や記録に目を通すと、どれもまだこれから必要になりそうな気がしてしまうのだ。
途中から開き直って、もう仕事関係の資料や記録は「全部保管」を前提にすることにした。
ただ、散らからないよう、そしてすぐ取り出せるように、まとめて1ヵ所に保管する。そして、仕事を辞めたらその保管場所ごと一気に全部捨てるんだ!
そう決めてからは少し片づけスピードが上がったが、夫が帰ってきたので(夫は今日は仕事だった)本日も途中で強制終了。
明日こそ書類の片づけを済ませて小物類に進まなくては、休み中に祭りの片づけを終えられなくなってしまうぞ。
頑張れ、私!
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今日は午前中病院だったが、診察だけでなく検査(心臓)もあったので、時間がかかった。薬局に寄って帰ってきたらもうお昼で、お昼ご飯を食べたら動きたくなくなってしまった。
しかし昨日も一昨日も片づけを休んだので、今日は頑張らなくては···と、ようやく重い腰を上げたのが14時頃。
まずは家中の書類を1ヵ所に集める。
一応散らばらないように、引き出しやファイルボックスやカゴに収納してるので、整理されてるように見えるが、実は中はグチャグチャ。
しかも夫のものも混ざってるし、私のものも仕事とそうでないものが混ざっている。
どこから手をつけたらいいのかわからなくなって、とりあえず端からとりかかる。
書類の片づけはときめき関係なしなので(しかも全捨てが基本)サクサク片づけられそうなものだが、これがなかなかそうは行かない。
特に仕事関係の書類は資料として使うことがあるし、自分が頑張った証のようなものもあって、捨てにくい。
なので、まず仕事関係とそうでないものを分けた方が良さそうだなと思い、分けてみる。
が、それだけで1時間近くかかってしまう。
その後は仕事関係のものは後に回して、必ず置いておかなければならない重要書類からピックアップ。これは割とサクサク。
次にとりあえず置いておかなければならない書類にとりかかるが、ここには夫のものが多い。
夫のもの、夫婦共通のもの、私のものに分類するだけで、また時間を取られる。
夫の分は、かなり昔からの給料明細が全部あったり、もう処分したバイク関係の書類があったり、古いお薬手帳が何冊も出てきたりして、こっそり全部捨ててやりたくなったが、なんとか思いとどまる。
やっぱり思っていた通り書類の片づけは私にとって難関で、半分も片づけないうちに夕方になってしまった。
とりあえず部屋の隅に押しやって、続きはまた明日。
今日は病院で疲れたのもあって、あんまり集中できなかった。
何とか明日中には終わらせたいなあ。
【追記】
上の写真以外に後からまだ書類が出てきた!
紙袋と箱2つ、中は契約書や取説、年賀状など。
あ~あ···
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衣類を全部出したり仕舞ったり、本を全部出したり仕舞ったり···は、老体にはけっこうキツかったとみえ、昨日から腰と左肘が痛い。
左肘痛は昔からで、長い間治療に通ったが結局完全には治らず持病化している。常時痛むわけではなく普段は忘れてるくらいだけど、いつもと違う動作をしたり、同じ動作を繰り返したりすると痛くなる。
腰の方は、今までに軽いぎっくり腰になったことが2~3回あるくらいで、普段から痛むことはない。けど、やっぱり無理をすると今回のように痛むことがある。
そんなわけで、大事を取って昨日と今日は片づけをお休みした。
こういうこともあるから、やっぱり祭りの片づけは若いうちにやっておくべきだと、声を大にして言いたい。
65歳でまだ仕事も現役の私でさえこうだから、もっと歳を取ってからは言わずもがなだ。
それに、私が今完璧に片づけを終わらせたとしても、その後の人生はどんなに長く見積もっても40年、しかもその間は元気でやりたいことができるわけじゃない。てか、もうすでに今現在元気じゃないし、やりたいことは半分もできない状態だ。
若い頃に片づけの大切さを知って、ちゃんと片づけができた人は、その後どれだけ豊かな人生を過ごすことができるか。
ああ、若い人が羨ましい···
などと、今さら嘆いても仕方ない。私の人生では今が一番若いのだ。だから今頑張るしかない。
さて明日は午前中病院だが、午後からは時間があるので書類の片づけをしよう。
書類は、ある意味私にとって最大の難関かもしれない。
おそらく明日の午後からだけでは時間的にも無理だと思うけど、とにかくやらなければ。
頑張る!
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昨日、履き潰してヨレヨレになったブーツを処分した時、薄情な私にしては珍しく、心の底から感謝の気持ちが湧いた。→毎日のように履いていたブーツ
と同時にモノと人の関係って、こうあるべきなのかも···と思った。
そして、そう言えばこんまりさんがそんなようなことを書いていたな、と思った。
「すべてのモノは、あなたの役に立ちたいと思っています」と。
探してみたら、やっぱり『人生がときめく片づけの魔法』の最後の方にあった。
前に読んだ時は、それほど心に響かなかった。
今頃になって、わかった。
元々、モノは役に立つために作られているのだ。そして、私の役に立つために私のもとにやって来たのだ。
役に立ちたいと思ってずっと待っていたのに、ろくに使ってもらえないまま処分されたモノ達は、悲しかっただろうな。ごめんね···
いや、それどころか存在さえも忘れられているモノ達が、まだ私の住まいにはたくさんあるはず。彼らはきっと今も、役に立ちたいと思いながら出番を待っているに違いない。彼らを早く解放してあげなければ!
何だか新たなモチベーションが湧いてきた。
今回の片づけで、私のモノに対する気持ちが変わってきている。
この片づけが終わったら、私はこれまでと違い、モノともっと良い関係を築いて行けそうな気がする。
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祭りの片づけ2日目の今日は、昨日の衣類の残りと本類。
まずは衣類の残りのバッグから。
私はバッグはそんなにたくさん持ってないと思ってたけど、全部出してきたら思っていたより多かった。
処分したのは、仕事用に買ったけど使い勝手が悪くて使ってない鞄と、ずっと使っててボロボロになったバッグinバッグ、以前は気に入ってたけど今はときめかないバッグ、何となく使ってた貰い物の手提げの4点。
次に靴。
靴は、もともと必要最低限しか持ってないので、処分したのはこの何年かの間、冬は毎日のように履いていたブーツ1足だけ。よく見るともうつま先が剥がれかけていた。このブーツには「お疲れ様でした。こんなになるまでよく頑張ってくれたね。ありがとう」と声をかけることができた。
そして、本類。
本類も、最近は電子書籍で読むことが増えたし、もともと手元に残しておく方ではないので、そんなにたくさんはなかったが、それでも「あれ?この本、何で置いてあるんだろ?前の片づけの時にときめいたんだっけ?」というのがあって、笑ってしまった。
問題は、仕事に必要な本。これは数も多く、ときめかないからと捨てるわけには行かない。
ただ、自分用の本と、仕事用だけど自分用に持っておきたいと思う本と、仕事辞めたら処分!と思う本に、分類だけしておいた。
仕事辞めたら、本棚スカスカになるだろうな。
後、料理の本がけっこうあるんだけど、これは私より夫の方がよく使うので(夫は料理が趣味)勝手に捨てられないから、そのまま放置。
他にも夫所有の漫画がすっごい沢山あって、あれを全部処分したらどれだけスペースが空くかと思うと、ちょっとイラッ···
いかんいかん、片づけはあくまで自分、私1人のことだ。
前回の片づけの時は夫もつられてちょっと片づけてたので、今回も期待してみるかな。
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今日から1週間仕事休みなので、片づけ祭りに入る。
この1週間は本当は白内障手術のための休みだったけど、延期になってしまったので、→白内障の手術が延期 ちょうど良かったのかも。
ただ、1週間休みだ~と思うと気が緩んで、今朝は大幅に寝過ごしてしまった。
なので、今日はできれば本類の片づけまで進めたかったのだけど、衣類のみ。(しかもバッグと靴はできなかった)
まずは全ての衣類を1ヵ所に集める。
ここにないのは洗濯中の衣類と喪服だけ。
衣類は以前の片づけ祭りでかなり減らした後、衣替えの度に小まめに断捨離していたので、それほど多くはないと思う。
ただ、ときめくものばかりとは言いがたい。
それほどときめかないけど、これを処分したら着るものに困る、というものが多く、私って必要に迫られて妥協で買うことが多いかも···と反省。
処分することにしたのは、ワンピース2、セーター2、パンツ2、Tシャツ1、ストール1、キャミソール1、靴下5、ハンカチ3。
本当ならもう少し減らしたいところなんだけど、仕事は私服でイベント用の服もいるので、今はこれが精一杯。
衣類を出した後のクローゼットや引き出しや衣装ケースを綺麗に掃除したくてウズウズしたが、「掃除と片づけは別!」と自分に言い聞かせ、埃取りシートで軽く拭くだけにした。
残した衣類を収納する時も、色々収納の仕方を変えたくなったが「まずは“捨てる”を終わらせること!」と言い聞かせ、何とか3時間くらいで終了。
さて、明日は今日の残りのバッグと靴と、そして本類を片づける予定。
早起きしなくちゃ。
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タサン志麻さんのお家は築60年ほどの古民家で、ボロボロだったその家を夫婦で少しずつDIYして創り上げて今の形になったけど、まだ完成ではなく、今後も家族の変化に合わせて変えていく予定だそう。
私はDIYは苦手なので、そこにはあまり興味がわかなかったけど「家族の変化に合わせて変えていく」という所に目が止まった。
志麻さんの子どもはまだ小さいので、これから子どもの成長に合わせて変えていくんだろうなと思ったが、よく考えたら家族の変化は子どもだけではない。
私は3/13の記事に、自分の生活はこれから変化していくだろう、ということを書いた。
その記事はこちら↓
仕事をしている間や辞めた後、歳を取るにつれ出てくる身体の不具合などによって、生活は変わる。
そして私と同じように、夫の変化もある。
あと数年は続けるつもりでいる仕事も、本当のところ、いつ辞めざるを得なくなるかはわからない。
身体の不具合はもっとだ。去年、知らない間に狭心症を起こしていたように、いつ何があるかわからない。もちろんそれは若い人も同じだけれど、高齢になるほどその確率は上がる。
変化が起こると当然生活は変わり、その生活に合わせて嫌でも住まいを変化させなければならないことも出てくるだろう。
こう考えてくると、これからの私の住まいは、そういった変化にすぐ対応できるような住まいが理想の住まいであると言えるのではないだろうか。
そしてまた、志麻さんはこんなことも言っておられる。
「家に手を加えるほど愛着がわき、家で過ごす時間が楽しくなります」
前にも書いたけど、私は今の住まいが好きじゃない。
でも変化に合わせて家に手を加えるうちに、好きになることができるだろうか。
家が好きになって、家で過ごす時間が楽しくなるだろうか。
そうなるといいな。
いや、そうなるために、これから頑張る。
まずは、明日から片づけ開始だ!
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どんな素敵な住まいの写真を見ても萌えなかった私だけど、「いいな」と思った家が2軒だけあった。
1軒は『わたしのウチには、なんにもない。』の、ゆるりまいさんのお家で、もう1軒は‘伝説の家政婦’タサン志麻さんのお家だ。
まいさんの住まいは清々しいほどに何もなくて、すっごい掃除がしやすそうだった。
反対に、志麻さんの住まいは古民家で、キッチンには色んな道具が置かれていて、とても料理がしやすそうだった。
対称的なお二人の住まい。私はどちらの家にも住みたいとは思わなかったけれど、いいなぁと思った。
それはお二人の住まいが、ちゃんと自分で考えた理想の住まいだったからだと思う。
まいさんは極端にモノを減らすことによって、自分が気持ちのいい空間を作り出し、志麻さんは古民家に手を加えることで、自分が好きな空間を作った。
だから私も、誰かの真似をするのではなく、自分が好きな空間を作りたいと思う。
インスタ映えしなくても、他人にとっては居心地が悪くても、私がいいと思えばそれでいい。
だって、そこに住むのは私なのだから。
私の『理想の暮らし』は掃除が行き届いた綺麗な部屋で、というのはわかった。
では、その綺麗な部屋でどんな暮らしをしたいのか?
私はまだ後何年かは(できればたぶん70歳まで)仕事をするつもりだ。
片づけた後の理想の暮らしは、仕事をしている間と、仕事を辞めてからでは、大きく違ってくるだろう。
仕事をしている間は、やっぱり仕事に集中できる暮らしがしたい。
そして仕事を辞めた後は、静かにゆったり暮らしたい。
暮らしというのは変化して行くものだから、その時その時に応じた目標や理想があって当然だと思う。
だから、とりあえず今はこれから4~5年の暮らしを考えよう。
70歳までの私は仕事をしていて、夫も仕事している、それを前提とした暮らし。つまり、今とあまり変わらない。
夫は家に仕事を持ち帰るようなことはないけれど、私は家に持ち帰る、あるいは家でないとできない仕事もある。
だから、思い立ったらすぐに仕事に取りかかれるような環境が欲しいな。整理された資料や本が並んでて、必要な時にはすぐに取り出せる本棚や引き出し。パソコンやプリンターも使いやすく配置されてる。
もちろん仕事以外の時間も大切にしたい。
私も夫も食べること、飲むこと、そして料理が好きなので、キッチンは機能的で使いやすく、ダイニングは居心地のいい空間にしたい。
おお、なんだかどんどん妄想が膨らんできたぞ···!
今日は片づけのことはちょっと置いといて、確定申告の話。
今年こそ早くしようと思ってたのに、結局今日になって申告書と格闘している私。
パソコンでもスマホでもなく『申告書』と。つまり申告の用紙。
e-taxなら簡単なのに、何故に私はわざわざ申告書を作成しているのか?
それは···
私の仕事は『家内労働者等の必要経費の特例』という制度を使って申告できるんだけど、何故か国税庁の確定申告等作成コーナーを使って電子申告しようとすると、この「家内労働者等の特例」の計算書が添付できない。
決算書も確定申告書も、この特例に対応していないのだ。
しかも私の見る限り、そんなことはどこにも記載がない。
数年前、何も知らずに宣伝に乗せられてe-taxで申告しようとした私は、どこをどうしても『家内労働者等の必要経費の特例』が出てこないので、どれだけ悪戦苦闘したことか···
青息吐息でネットで調べてみると、「『家内労働者等の特例』を使っての電子申告は、国税庁確定申告書等作成コーナーではできない』との記事が!しかも国税庁ではなく、税理士さんのホームページで見つけたのだ。
な、なんやて~!?
もう、思わずマウスを投げそうになったわ。
国税庁、家内労働者等をディスってる?
何で、作成コーナーの目立つ所にひとこと「家内労働者の特例を使っての申告はe-taxではできません」と書いておいてくれないの?
てか、何で家内労働者の特例を使った申告もe-taxでできるようにしておかない?
ワケわからん・・・
もう、国税庁なんて大嫌いだ!(私に嫌われても関係ないだろうけど)
まあとにかくそんな訳で、今年も申告書は手書きで作成している。
もう、ただでさえ面倒臭いのに···
ムキーッ!!!((ヾ(≧皿≦メ)ノ))
私は素敵なインテリアの写真を見ても、いいなぁとは思うけど、ときめかない。
何故なんだろう?
それは私は写真を見ながら、こんなことばかり考えてるからだと思う。
例えば、高い天窓やむき出しの太い梁がお洒落な部屋の写真は「あそこの掃除は大変そう」
素敵な家具の写真は「これ素敵だけど手入れしにくそう」
棚に並んだかわいい小物達の写真を見ても「こういうのって埃が気になるなぁ」
エトセトラ、etc.
断っておくが、私は潔癖症でなければ、無類の掃除好きでもない。
それどころか私はズボラなので、わが家はあちこち汚れてて、埃だらけだ。
···と、ここまで書いて、気がついた!
私は本当は、ちゃんと掃除が行き届いた部屋で暮らしたいのでは!?
そういえば、思い当たる節はたくさんある。
ふだん掃除していて、食器棚の埃やシンクの汚れに気がついて、でもその時はそこを掃除する時間もないし、また後で···
お風呂を洗ってて、窓の下に黒カビを見つけて、漂白しなくちゃと思いながらも、その時は時間がなくて、また後で···
掃除機をかけてて、床が黒ずんでるのに気がついて、でも時間がないからまた後で···
そして言うまでもなく、また後で···は、できた試しがない。
そういう、気になってはいてもそのまま放置されている場所が、わが家にはそこかしこにある。
で、年末の大掃除の時に、まとめてやっつけようと思うのだが、これまた時間がなくて、中途半端なまま新年を迎えるのが毎年のお約束だ。
そうか、私が不満だったのは、これか。
実は、私は私の住まいがあまり好きではない。
だから以前片づけた後も、家がパワースポットにはならなかった。
今やっとその理由がわかった。
私は綺麗な家に住みたかったんだ。(「綺麗」というのは、「掃除が行き届いた清潔な」という意味で)
昔は年末の大掃除で片づけに時間を取られて掃除がちゃんとできなかったが、それは掃除と片づけを一緒に考えていたから。
そのこと(掃除と片づけは別)をこんまりメソッドで知って「そうか、まずは片づけなんだ!」と、片づけたのが10何年か前。
その時は一応、最後の思い出品までたどり着き、時間をかけてアルバムも片づけた。
それで私は、祭りの片づけをやり終えた!と、満足してしまった。
いや、その満足が悪いのではない。
問題はその後、掃除をしなかったことにある。
たぶんその時も私の片づけの目的は掃除だったのに、片づけだけで終わってしまった。
だから私はその後もずっとスッキリしなかったんだ。
STEP1の「理想の暮らしを考える」を、もっと突き詰めていれば、掃除にたどり着いただろうに。
「何故?」を何度も繰り返して自分に問えば、きっとたどり着いたはずなのに。
でも、今やっと私はたどり着いた。私の理想の暮らしは、お洒落な部屋ではなく、掃除が行き届いた部屋で暮らすことだったんだ。
そのために、まずは片づけを終わらせる。
よし!今度こそ大丈夫だ!
こんまりメソッドのSTEP1は、『理想の暮らしを考える』
自分はどういう暮らしをしたいのか、片づけが終わったその先を想像する。
以前片づけをした時は早く片づけたくて、ここを適当にスルーしてしまった。今リバウンド状態になってしまってるのは、これも原因のひとつかもしれない。
で、今回はリバウンドしないように本当にちゃんと片づけたいので、真面目にSTEP1に取り組むことにした。
『理想の暮らし』は、できるだけ具体的に思い描くのが良いらしい。
以前の私は、せいぜい「片づいてて、物が出ていない部屋」「必要な物がすぐに出せる部屋」くらいしか考えなかった。
でもそうではなくて、もっと映画のワンシーンのように、理想の部屋とそこにいる自分を思い描けるくらいでないとダメらしい。
自分で思い描くのが難しい人は、インテリア雑誌で部屋の写真などを見て「理想の一枚」を見つけるのもいいとか。
なので、雑誌やSNSなどで色々見てるんだけど、なかなか理想の一枚は見つからない。
とても素敵で、いいなぁと思う部屋はあるんだけど、自分がそこで暮らしたいとは思わないのだ。
洋風でも和風でも、新しくても古くても、お洒落でも素朴でも、同じ。どんな部屋でも「ああ、ここにずっといたいなぁ」とは思わない。
もしかして、STEP1から行き詰まってる!?
先日、片づけのことをチラッと書いたが
(その記事はコチラ ↓↓↓)
私が最初にこんまりメソッドで片づけたのは、今から10年以上前だ。
その時完璧に片づけられなかったせいか、その後リバウンド。部屋はだんだんグチャグチャになってきた。
で、新型コロナで長期に渡って仕事休みだった時に、もう一度片づけた。その時はこんまりメソッドではなく、断捨離で。『もの別』ではなく、『場所別』で片づけた。けっこう片づいた。
なのに、それから3年足らずで、また部屋がグチャグチャになってる。普段生活しているリビングダイニングや、寝室にしている和室はそこそこ片づいてるけど、あまり使っていない洋室は完璧に物置小屋と化しているし、キッチンもゴチャついてる。
その状態を目にするたび、「片づけなきゃなぁ」と思うんだけど、面倒臭くて手を付けられない。時間がない、というのは口実で、作ればある。
「仕事辞めたらちゃんと片づけよう」と思っているけど、それは先延ばしにしてるだけ。
仕事続けてる間中ずっとこのグチャグチャの中で生活を続けて、仕事の資料もどこに何があるかよくわからなくて、しょっちゅう探す羽目になるけど、それでいいの?
今でもあちこち身体に不具合が出てきてるのに、何年か先になればもっと不具合が出てくるよ。その状態で『祭りの片づけ』ができるとは限らないよ。
それに不具合どころか、死がその隣にあるかもしれないんだよ。
片づけを始めるのは
今でしょ!(古っ!)
・・・てな訳で、突如また片づけを始めることにした。
今度こそ、完璧に片づけられますように···
かつての友達に、よくそういうことを口にする子がいた。
「◯◯さんは私に意地悪したから、あんな病気になったんや」
「△△さん、あんなことばっかりしてたら、そのうち悪い病気になるわ」etc.
彼女が今、私のこのブログを見たら言うんだろうな。
「ほら見てごらん、良くない行いばっかりしてるから、そんなふうにあちこち悪くなるんよ」
改めて言うまでもなく、そんな法則はない。
悪い行いをした人には不幸になってもらいたいという気持ちはわかる。
けど、そもそも人間の不幸は病気だけじゃないし、病気でも全然不幸じゃない人だっている。
幸福か不幸かは、本人が感じること。本人が決めることだ。
実際私は今、体調不良が重なってブツクサ愚痴ってはいるけど、決して不幸ではない。
大筋において、私は幸福だ。
私は病気を何かの罰として考えたくない。
・・・というようなことを、あの頃の私は何故、彼女に言えなかったのだろう。
今朝、朝食を済ませてスマホを見ていると、文字が消えて見えない部分があって、あれ?と思った。
ちょうど1文字、見えないのだ。
視線を動かすと見えるけど、その文字を見ようとすると見えない。その部分だけ穴が空いたよう。
あ、ヤバい、これ網膜裂孔かも···!?
と思い、どっちの目か確かめようと、咄嗟に右目を瞑って左目で見ると、見えない!
次に今度は左目を瞑って右目で見てみると、あれ?やっぱり同じ文字が見えない。
うん?両目共に全く同じ位置の文字が見えなくなるのは···
これは、もしや、閃輝暗点?
何年か前に初めて閃輝暗点を経験した時、私は漫画を読んでいた。
それは、何か見えない文字がある!と気づいた瞬間から始まった。
まず1文字だけ穴が空いたような感じで見えなくなり、その穴の回りにキラキラ光るものが見え出す。
穴はだんだん広がって行き、その周囲のキラキラはイビツな三日月のような形になって広がって行く。フカヒレの姿煮のような形と言った方がわかりやすいかな?
その三日月形のキラキラはどんどん大きくなって視界の端の方まで広がって行き、やがて消えた。
その間30分くらい。
今回も、最初は小さい穴のようだったものが広がって行き、それと共にその周りのキラキラも広がって行った。
やはり閃輝暗点だった。
ちなみに閃輝暗点の後は片頭痛が起こることが多いらしいが、私の場合はない。今回もなかった。
それにしても、閃輝暗点になるのは久しぶりだ。もう何年もなっていないと思う。少なくとも新型コロナが流行り出してからは、なっていない。
最近、ホントに次々と身体に異変が起こるなぁ。
今のところはどれも命に関わるようなものではないけど、これからもそうとは限らない。
何だかちょっと、せっつかれてるような気分になってきた・・・
ずっとブログ放置してました。 全く書く気がしなくなってしまって・・・ 仕事がうまく行かず、他にも色々あって、気持ちが落ちていました。 ずっと我慢の毎日でした。 でも人間って不思議ですね、そんな毎日でも次第に慣れてくるというか、その状態がデフォルトになる。そうすると、そこからまた“...