今年に入ってから判明したんだけど、どうやら私は去年の11月か12月に狭心症らしきものを起こしていたらしい。
‘らしい’というのは、本人には全く自覚症状がなかったから。
私はもちろんそれまでに狭心症になったことはなかったし、高血圧で降圧剤を服用しているので心臓の検査は毎年受けているけど、前年まで異常は見られなかった。
それが去年の年末の検査で心電図と血液検査に狭心症のような状態を示す異常が見られたので、今年に入ってから精密検査を受けた。
結果は、少し前に何らかの異常があった(たぶん一時的に血管が詰まった)ようだが現在はほぼ回復している、とのことだった。
先日、白内障の手術が延期になったことをチラッと書いたが、その原因がこれ。
心臓が完全に落ち着くまで手術はしない方がいいと、主治医の許可が下りなかったのだ。
私は65の今まで、命に関わるような大きな病気やケガをせずに過ごしてきたが、それはとても幸運なことだと思う。
···と、頭ではわかっていても、そういう思いは毎日の生活の中では薄れてしまう。
だから、歳を取るにつれ「死」については若い頃より身近に感じるようになってはいたが、それでも何となく自分はまだ大丈夫みたいな気でいた。
でも今回、自分の知らない間に起こっていた心臓の不具合を知り、死は今この瞬間に訪れても全く不思議ではないのだ、ということを実感した。
11月か12月に起こっていたと見られる心臓の異常が、小規模なものだったから私は今もこうしてブログを書いていられるけど、もし大規模なもの、致命的なものだったら・・・
2/28の記事にも書いたが、「自分がこの世からいなくなる」という考えは、それから頻繁に頭に浮かぶようになった。
それまで漠然としていものの輪郭が見えてきたと言っていいかもしれない。
とにかく私は今までより死を意識するようになった。
人間って(私だけか?)いくらでもあると思うとぞんざいに扱ってしまうが、少ないと思うと大切にする。
それと同じで、まだ続くと思ってた人生が実は残り少ないかも···と思うと、急に大切にしたくなった。
それで始めたのがこのブログだ。
私はブログを書こうとすると、色んなことをちゃんと見たり、深く考えたりするから。
このブログを書くことが、豊かな時間を過ごすことに繋がるといいなと思う。
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